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「何故人を殺してはいけないのか」について本気出さずに考えてみた

 つい先日、名古屋で大学生が「人を殺してみたかった」という動機で殺人を行うという事件がありましたが、たまに話題になるネタとして、「何故人を殺してはいけないのか」というネタがあります。
 「そらアカンに決まっている(正当防衛などを除いて)」という話ではあるのですが、ただ「ダメなものはダメ」というよりも、何故ダメなのかについて多少なりとも説得力ある理由を提示した方が望ましいと思われるため※1、ちょっとばかし私が適当に考えたことを書いてみたいと思います。


1.ちまたでよく言われている解答について※2
(1)端的に刑法で禁止されているからという理由でよいのでは?
 刑法199条で殺人が処罰対象とされているからというのは当然一つの答えではありますが、そもそも何故、刑法で処罰対象としているのかを考えてみると、その部分まで意外と答えるのは難しいです。
 おそらくこの問いで真に求められているのはそこの部分の話なので、ただ刑法で禁止しているだけではちょっと理由としては物足りないかなと感じます。
 「何故、古今東西で殺人が重罪として処罰されてきたのか」というところまで踏み込んだ話をすると、より説得力が増すのではないでしょうか(古今東西の話まで私ができる気はしない…)。

(2)逮捕・勾留・懲役なんて嫌でしょ?
 上とも関連しますが、「普通の人なら、人を殺して逮捕されたくないだろ?」というのも一つの答えだと言えます。一般の人なら、身柄を拘束され自由を制限されることが嫌なはずですし。
 ただ、完全犯罪(犯罪が認識されることがない、犯罪として認識されることがない、加害者が起訴されることがない場合)だと、それらの心配がないので、「ばれないなら人を殺して問題ない」という反論はされそうです。
 
(3)自分が殺されたくないなら、他人も殺しちゃいけない
 日本人なら誰でも一度は教わっただろう「人にされて嫌なことをすべきでない」というテーゼから、殺人も禁止すべきと言うことがいえそうです。
 しかし、「自分も殺されていい」というぶっとんだ考えの人には、この理由は通用しそうになさそうです。


2.私が適当に思いついた解答について
(1)社会秩序や治安を乱さないため・無秩序状態を避けるため
 他人を自由に殺害することを許容してしまうと(処罰できないとしてしまうと)、ちょっと気に食わないことがあったからといってすぐ人を殺しても、公的機関から罪に問われないということになってしまいます。
 いつ誰が誰を殺しても加害者を罰する公的機関がないとなると、処罰されないことをいいことに犯罪を実行する者が増えてしまい、紛争地帯と似たような無秩序状態化を招く恐れが強いでしょう。
 報復する自由もあることから、なんだかんだで殺人は抑制されるのではないかとも考えられますが、逆に、「報復する主体である遺族まで殺害してしまえばよい」ということで被害者が増える可能性もあります。
 とりあえず、「人を殺してはいけない」というテーゼを法という強い拘束力をもって強制しておけば、いつ誰が誰を殺してもおかしくないような無秩序状態を防ぎやすいため、無難であると考えられます。※3
 ただ、多くの人にとっては無秩序状態は避けたいと考えるものでしょうが、無秩序の方が嬉しいという人にはこの理由は通用しないでしょう。

(2)大半の民衆が「人を殺してはいけない」との意思を有しているから
 (1)とも関係しますが、人を自由に殺せてしまうと自分自身も殺されてしまうおそれが増大すると思われるため、そんな危険な状態を許容したくないというのが大半の民衆の意思だと思います。
 いつ自分や自分の大切な人たちの命が奪われるかもしれない危険な社会ではなく、平和に生きられる社会で暮らしたいというのが普通の意見でしょう。
 とりあえず、民衆の意見を反映して、「原則として人を殺してはいけない」ことを刑罰をもって強制する方が、人々が平和に暮らせる可能性が高く、大半の民衆にとって都合がよいといえます。 

(3)生命についての処分権は本人のみが有しており、他人がそれを侵害するのは許すべきでないと考えられるから
 最大多数の最大幸福の理論からすると、「一人の生命を侵害することで、二人の生命が助かるのであれば一人の生命の侵害も許容される」という事態になりかねませんが、そのような事態を避けるべき理由として、「生命についての所有権を有しているのは本人であり、処分権を有しているのも本人である。他人が生命の侵害をすることは、本人が有する所有権及びそれに基づく処分権を侵害することになり、許すべきではないという観念が存在する」ということを挙げることがあります。
 上のことは、最大多数の最大幸福の例外として述べられることですが、基本的に合理的な理由がない通常の殺人については、本人の意思に基づかない生命の処分を肯定するだけの合理的な根拠に欠けるため、特に本人が有する生命についての処分権を侵害することは許されないでしょう。※4

(4)殺人を許容すると、経済的・社会的・文化的損害が大きいから
 これも最大多数の最大幸福の理論に絡む話ですが、一人が死亡すると、それだけ労働力が失われ、本来であれば生み出すはずだった利益が損なわれるため、基本的には殺人を認めない方が経済的・社会的・文化的な利益は大きく、経済的・社会的・文化的損害を出さないため、殺人は禁止すべきであるといえそうです。
 端的な意見ですが、経済的合理性があるというのは、経済の重要度の高い現代社会では凄く大きな理由になりそうですね。

(5)人の生命には重大な価値があると一般的に考えられているから
 動物を殺害しても軽い罪にしか問われませんし、虫の殺害など不可罰であることも多いですが、それは動物の生命にはそこまでの重大な価値がないと考えられているからです。
 それに対して、現在の日本で人の生命を故意に失わせると、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役という重罪に問われます(殺人罪の場合)。何故そのような重罪になっているからというと、人の生命にはそれだけの重大な価値があるからと考えられているからです。
 殺人は、その重要な価値を棄損する行為であり、重大な価値を失わせる行為なんかを認めるべきでないから、殺人は禁止されるべきと考えられます。


※1:殺人についてだけでなく、ダメなものはダメとしっかり教育することは当然大事ですが、思考力を鍛える訓練にもなりますし、何故ダメなのかしっかり考え、他人に説明することをした方が良いのではないかと個人的には思います。
※2:理由なんて特にないと言う人もいますが、誰もが納得いく理由こそないものの多くの人が納得するだけの理由ならあるのではないかと思いますし、一つの理由だけで完璧に説明する必要もないので(複数の理由から禁止すべきという結論を導いてもよいはず)、理由がないことはないと思います。「完璧な説明ができる一つの理由がない」という意味では正しい気がしますが。
※3:殺人が自由化したとしても、他人の目の監視がありますし、実際にはそこまで被害の数は増えないのではないかもしれません。
※4:詳しいことは、リバタリアリズムを勉強して学んで下さい。
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FAMITUNE

Author:FAMITUNE
レトロゲームについてはやりこみプレイヤー、最近のゲームについてはヌルゲーマーの二刀流。
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